仏陀やキリストを引くまでもなく、大勢の人を救い、導いた昔の聖人は例外なく、 誰もいないところで過酷な学びを積み重ねました。 なぜ彼らほどの聖人でさえ「学びの場」が必要だったのでしょうか。 それは人間の本質が弱いからだと思います。悟りを開くまではどんな人物でも「ただの人」です。 その「ただの人」が「聖人」になるには誘惑のある場所では不可能だったのです。 昔よりはるかに豊かになり、様々な誘惑にあふれている現代で、受験勉強に立ち向かう今の若者は、 古の聖人よりもよほど困難なことを要求されているのかもしれません。 自然と「自分ひとりで勉強ができるようになる」ことなど、まずありえません。 思うように成績が伸びず、挫けそうになるのが普通なのです。 楷進はそんな受験生のためにある、「学びの場」なのです。

